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人は亡くなる前に元気になるって本当?!! [病気・健康に係る出来事]

 いつまでも蒸し暑い日が続き、体が何となくだるく感じられましたが、昨今やっと過ごしやすい日がやってきたように感じられます。
 今日は、義父が92歳で亡くなって丁度1年が経ちます。
義父は身内の中で、戦争を経験した数少ない一人でした。
その尾道市に住む義父が、90歳の夏のことでした。早朝に、妻と私に電話をしてこられて、「出雲観光をしたい!今から出雲にいくので宜しく」という。
年が年だけに炎天下大丈夫かな?と思いながらも、一方では会いたい気もあり快く「いいですよ!どうぞおいでてください!車で迎えに行きます」と言うが、「どうしても電車でいくから・・いいよ!」と固辞されたのです。年齢が年齢なだけに、心配しましたが、妻が「大丈夫だよ!元気だから」と言うのでまかせる事にしました。
丁度、4時間くらい経った昼過ぎに我が家に、ひょこり「来たよ」と言って現れた。そうです・・尾道から
新幹線で岡山へ、それから八雲で出雲まで乗り継いで、それからタクシーで来られたのです。
元気なのにはびっくりしましたが、その時1年後には亡くなるなんて夢にも思いませんでした。

早速、3人で私の自家用車に乗り、観光名所案内をすることにしました。
「どこか行きたいところがありますか?」と聞くと「沖ノ島に行きたい」と言われる。
沖の島までの交通手段をインターネットで調べてみるが、出雲空港から飛行機で1往復、高速船が七類港から
2往復しかない。
今からの時間帯だと日帰りは無理なので、「時間帯が悪いので、別の場所にしましせんか!」と言うと
快く「別の機会にしよう・・今日はまかせる」と言ってくれたので 全国的に知名度の高い”縁結びの神それと健康祈願の場所である出雲大社に、まずは行くことにしました。

早速、車に乗って出雲大社に向かいました。
出雲大社は縁結びの神・福の神として名高かく、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社と呼ばれていたそうです。
早速、駐車場に車を止め、大社の中の本殿で祈願してから、中を見て回ることにしました。大社内の奥手に、
平屋の古びた細長い建物の前まできました。
 ここの主祭神は大国主大神で、古事記に記される国譲り神話には、大国主大神が天照大神に国を譲り、その時に、造営された天日隅宮が出雲大社の始まりと言われているとの事。
 また出雲の10月は神有月と呼ばれます。
すなわち全国の神々が出雲大社に集結して一泊で会議を行うそうです。
その神々のための宿舎が、ここですよ!」と説明したのを思い出す。
宿舎を指さして説明すると、義父は私より詳しく、既にご存じだった。

続いて、ここから約1時間の所にあって、2007年7月にユネスコの世界遺産に登録された、石見銀山遺跡に向かいました。
石見銀山は、島根県大田市にあり戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山です。
現在は閉山していますが・・・
遺跡までは、車で上ることが禁止されていたので、仕方なく歩くしかありませんせした。
下の駐車場に車を止めて、遺跡まで焼く1時間!距離は約3Kmありました。

夏の暑さと体力面、それに日没までの時間的制約の関係から 非常に心配をしながらの散策でした。
間歩まで歩けば片道45分~1時間の距離を歩かねばなりません。
義父は思ったより元気で、常に私たちの前を歩いて目的地まで散策が出来ました。

龍源寺間歩内をゆっくり・じっくり観ることが出来たばかりか、旧河島家・熊谷住宅・石見銀山資料館なども余裕で観ることを可能にしてくれました。
続いて 石見銀山世界遺産センターへ車を走らせました
散策は炎天下であったにもかかわらず、実に充実な時間を過ごすことができたと思います。

義父は、この散策がよっぽどうれしかったのか・・死ぬまでいつまでもこのことを話題にしていたのを
今では思い出します。

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