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大病のオンパレード・・妻は大丈夫か! ・・・⑦手術が終わって やがてリハビリへ!! 意を決して退職!! [病気・健康に係る出来事]

12時間にも及ぶ手術がやっと終わり、妻がベッドに寝かされた状態で病室へ戻ってきました。見ると手術前よりも体に繫がっている管類が若干少なっていました。
この時も全く意識がないように見えましたが、手術が無事終わった安堵感で、ほっとしたのを覚えています。

 ここからのケアーが大変でした。
一連の手順に基ずいてやっているとは言え、看護婦さんの気苦労は大変だったと思います。
事前に注意されていたことは 病室に入る際には、感染症の予防の為にアルコール消毒と、マスクの着用でた。
更に、患者とドナーの足元にには、何やら枕みたいなものが取付けられていました。
 後日、先生に「これはなんですか?」と尋ねると「ああ!これは血栓を予防する装置です。」
どうも、移植後に血流が悪い状態が続くと血栓が出来て、血管が詰まり死亡する事があるようです。

見せていただくと、二人とも何やら足元に振動する枕みたいなものが、取り付けられていました。
 つまり一定時間ごとに、振動させ刺激を与えることによって足元の血管が閉塞するのを防止するものでした。
血栓予防装置.jpg
    血栓予防装置(イメージ)

 更には関係者全員が、患者が感染症に侵される可能性を排除するために、病室に入る前には、アルコーで手洗いし、必ず病院指定のマスク装着をしなければ、入室することが許されないしくみになっているのでした。
マスク装着.jpg
   マスク装着

 長男はと言えば、もともとが健康体であったせいか、「いたいいたい」と言いながらも3日間程で、歩けるまに回復しました。
母親が心配なのか、自分の病室と妻の病室との間を行ったり来たりしていました。
たまに激痛に襲われることがあったようですが・・・。

 妻は、中央病院での劇症肝炎のダメージが大きかったせいか・・、私から見て、とても歩けるまで回復できるとは思えませんでした。
移植担当の先生は何も不安なことは言われなくて「すべて順調です。」とおっしゃる。
術後1週間後位から、看護婦さんが「歩行のリハビリをはじめます。」と言われました。
妻が杖を持って立ち上がり、看護婦さんの肩につかまりながら歩き始めました。
見ていると、日増しに歩けるようになっていくではありませんか? 
この光景を見て初めて、よくなることへの可能性を信じることが出来ました。
「移植してよかったな!!」と思えるようになりました。

2週間位たったある日、エコーを見ていた担当医が「胆管が曲がっていて胆汁の通りが悪いのが
見られます。胆管に管を通してのばしてみます。」とおっやる。
「再手術ですか?」と聞くと「いや!体の外から管を入れて、胆管をのばすだけです。」
「もともとが、そういった体質だったとも考えられるので心配は不必要です。」と・・・と言われました。
後日、私が留守中に、この方法で治療が行われたが、妻の話では、胆管が破れて失敗したらしい。
とにかくしばらくは様子を見ることになりました。
その後、10年経った現在も問題はないようである。

 生体肝移植が、いまさらながらこんなにも大変なこととは思いませんでした。
とにかく、当事者の私達夫婦だけで解決できる病気ではないのです。
義父はとても協力的でした。
長男がドナーで入院している間、長男の勤務先に迷惑をかける事になる為、事情説明の為東京の勤務先へ出向いたり、
長男が復帰した時に勤務先の人たちとの間に”しこり”が残らないようにとの配慮したり!
それと、長男の妻に対し休業中の生活費の援助だとか・・・
その他、いろいろと配慮していただきました。
どうしても手術前に、前もって解決しなければならなかった問題でもありました。


 妻の手術跡を見ると十の字に目いっぱい切ってある。縦、横に30センチくらい。 長男のおなかも同様である。
長男は2週間で退院していきました。
会社の仕事のことが気になっていたようです。
この後、何回か検診に京大病院をおとずれましたが順調そのものでした。
半年後にやっと肝臓が100%近く再生するにつれ、元の状態に戻っていったのです。
 妻もやがて元気を取り戻し、2~3か月経過ごとに検診に病院を訪れ場住むまでに回復しました。

 妻が退院した年の、2002年の9月私は意を決して会社を辞めることにしました。
思う事が有ったのです!
というのは、数年前の妻が元気だった1999年に、私の母親が痴呆症にかかってしまいました。、
父親はすでに他界していたので、母親を一人暮らしにはさせておけず、長男でる私が、面倒を見ることになりました。
その時献身的に面倒を見てくれたのが妻でした。
考えてみれば家の事はすべて妻に任せ会社一途な人間だったと思います。
もし妻に何かあった時に”今のままの生き方ででいいのか?”と考えたとき、
二人で旅行もしたことないし、誕生祝をしたこともないし、指輪を買ってやったこともないし・・・
なにもかも ないないずくめであることに気が付きました。
これでは妻に何かあった時 後悔することになるのでは!
これからは、家族の為に生きようと・・・

会社を辞めてからは、2~3か月経過ごとに検診にも なんの心配もせずに京都まで行けました。
こういった状況が約3年間続きました。
そのうち主治医だった先生から県立中央病院へ出向するので、そちらで経過観察しましょう!言われました。
妻はわざわざ京都まで行かなくて済むので、内心ほっとしたみたいです。
やがて3年間の出向が終わり、京都に帰られると言われる。
「よければ次の人が代わりの人が来られるので頼んでもよいが」とおっしゃる。

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① 悪性リンパ腫と診断されるまで 
② 病名を告げられる 悪性リンパ腫と
③ 悪性リンパ腫の治療を終えて退院 やがて劇症肝炎に
④ 病名は劇症肝炎!!
⑤ 劇症肝炎が命取りに!救う方法は肝移植 不思議・・息子の血液型がA型からO型に?
⑥ 生体肝移植へ! 日本発の症例で 疑問視する人も? 
⑦ 手術が終わって やがてリハビリへ!! 意を決して退職!!
⑧ 大腸癌発症、手術
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