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父親の23回忌に思う。法事と法要はどう違うのか? [種々雑感]

今日は平成27年10月6日・・・思いめぐらせてみると・・・7月3日は父親の23回忌!

 福山に住む父は9年間もの長い間、腎臓病を患い、入退院を繰り返しながら最後には透析の治療へ。
それが及ばず透析中に大静脈瘤破裂を起こして死亡へ!と・・・

 最初の入院の頃は軽い腎不全でしたが、やがて排尿が、自分の意志で全くできなくなりました。
透析治療を受けざるを得なくなったのです。
この3年間にも及ぶ透析治療がよっぽど辛かったのか・・・亡くなる1か月前に病院へ見舞に行ったときに、
部屋に入ろうとすると何やら小さな声で歌声がする。
西田佐知子の「アカシヤの雨が止むとき、私は死んでしまいたい!」そんな内容の歌であったと思います。
話をしてみると精神的に、治る見込みのない病気というものは、いかに人に精神的なダメージを与えるものなのか?何度も自殺を考えたようでした。
でも結局、それは家族に迷惑をかけることになるのでと・・思いとどまったとの事。

ずいぶんと辛い9年間だったようでした。亡くなる直前の危篤状態の時、あわてて赴任先の出雲の地から
病院へ駆け付けたのですが、到着後病室へ駆け込むが・・その部屋はきれいにかたずけられていました!。「ああ別の部屋で治療をうけているなだな」と軽い気持ちでしたが、親族が誰一人としていません!!。
「おかしいな」と思い、受付でたずねると「お亡くなりになり、すでに親族が実家に連れて帰られました。」との事。
実家に帰ると親族が、葬儀の手配をすべてやってくれていました。
親族たちもショックで、長男である私に連絡することさえ 忘れてしまったようです。

亡くなってから23年目の今日、改めて亡くなる直前の病室での父の顔がはっきりと思いだされます。
 私達夫婦は仕事の関係でこの出雲の地に赴任してから、この間、家を建て、子供の成長を見守りながら
20年近くが経ってしまいました。
 私達や親族たちの都合で、今日(7月3日)は墓参りすることにしました。・・父親の墓が福山市にある関係で・・・そして、7月19日に年忌法要(二十三回忌)をすることにしました。
年忌法要だからと言って、普段と違って特別なことをするわけでなくて、仏壇に花を飾りお供え物をし、生前
信仰のあった人達だけで、供養する簡単なものです。

年忌法要が無事済んだあとでふと思いました。というのは長男が「お父さん、挨拶で法要と言ったが法事と
違うんでは?」という。調査してみるが、
仏教において、亡くなった故人を供養する儀式を法事・法要と言っているようですが、現在では法事と法要はほとんど同じような意味に使われることが多ようです。
もともとは法事の方は仏教の儀式全般 をさす言葉のようですが・・じゃー法要とは?
答えをお寺さんに聞いてみました。
[年忌法要]とは…命日から一年目、三年目、七年目など、節目となる年ごとにやってきます。
この日のことを祥月命日と言うそうです。
23回忌法要とは年忌法要をさし、23のところは亡くなってからの年数マイナス1年目となるとの事。     特別に問題にすることはなかったようです。

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