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大病のオンパレード・・妻は大丈夫か!・・・⑤劇症肝炎が命取りに!救う方法は肝移植 不思議・・息子の血液型がA型からO型に? [病気・健康に係る出来事]

2日後、会社では朝一番から国際品質保証機関の審査官2名が来場されて、私たち事業部の品質保証システム「ISO9001」の適合性の、継続審査が行われていました。
 私が品質保証責任者として、審査機関から派遣された審査官に対してシステムの変更点の説明をしている時だったと思います。
 午後6時を回ったくらいだったか・・・
突然、事務所の女の子があわてて会議室に入ってくるなり私にメモを渡すではないか!。

 何事かなと思って、メモ帳を開くと、中央病院からの電話があり、「すぐに来るようにとの事!」
妻に何かあったかな?と思いつつも、慌てて品質保証システムの副責任者に事情を話し、責任者を代わってもらうことにしました。
それから家に帰り 丁度、横浜から帰っていた長男と次男を連れて病院に到着し、すぐに集中治療室へ向かいました。
集中治療室では先生があわただしく動いておられましたが、私の顔を見られるなり言われました。

「奥様の命はもう長くありません。」見ると妻の顔色は、死人のように土色で全く意識がない状態でした。  「それに移植先受け入れ先である京大附属病院の移植倫理委員会で、移植が駄目だという結論にになりました。」との事。・・・ 「もう諦めてください!」と言われるではないか。・・・
頭をガーンと殴られた殴られたようなショック以外の何物でもありませんでした。

 どうもドナーである義弟の妻の同意が得られなかったようで、倫理委員会の決定が”移植不可”の決定がなされた様なのです。

 さあ!!!!ここからが大変でした。
 今から考えると、集中治療室の先生がおっしゃることは、十分納得できる内容だったと思います。
が・・・気が動転していた私は思わず失礼な事を言ってしまいました。
次のように・・・
 「先生は駄目ですというようなことを簡単におっしゃるけれど、先生が当事者だったら簡単に諦めきれますか?!
 「血液型が違っても、移植出来た例はいくらでもあるのではないですか!
ドナーが駄目で倫理委員会で駄目になったのであれば、血液型が違っても息子たちが、肝臓を提供したいといっています。
 再度、京大病院のの倫理委員会に掛け合ってください!」と

というのは、息子たちは何としても妻を救いたいと!自分たちの肝臓を提供しても移植手術を行い、その可能性に賭けてみよう!と言っていたからでした。
母親は、子供たちにとってはどんな状態で有れ、生きていて欲しいと思ったに違いありません。
「先生が言われていた
「奥さんにとって手術したからと言って一時的に命は長らえるかもしれませんが、将来苦しむのも本人だから!」という事もわからなくはなありませんでした。

 先生は考え込んでおられました。
しばらく経ってから「解りました・・京大病院と連絡を取ってみます。」
さあそれから4時間ほどたった午後11時じ過ぎの事でした。
 先生から「京大の倫理委員会の許可が下りたので、今から、京大病院へに向かってください」とのこと。
「出発される前に、ここでできる必要な検査は全てやっておきましょう」と・・・
「ドナー希望のお子様の血液型を調べておきますから採決室へ行って下さい。」
と言われたので、息子たちは立ち上がって採決室に向かいました。


 先生が飛んで来られて、開口一番「長男さんの血液型はO型ですよ」 え!?!
母子手帳ではA型になっていたし、長男も完全にA型と思っていたので、きょとんとしていました。
そうです!奇跡が起こったのです!
「こんな事ってあるのかな?」と3人で話しながらも 更に不思議な出来事がこれからも続いて起こるとは!・・・

 これからの、妻の京大病院への移転や段取りについて先生が言われた事は
 「奥様の場合は、救急車で京大病院まで搬送するには、体が持たないのでしょう!、ヘリを手配します。」
 だが病院からはヘリを飛ばすには、風が強くて雪も降っていたので不可能でした。
 そうです。山陰の冬場の天気は変わりやすく、冬の間中、風の強い日が多いのです。
先生は、 「明日出雲空港から担当医と看護婦が付き添って、京大病院まで運びます。」
「へりのルートは遠回りになりますが、山陽経由になります。
天気の合間を縫って京大まで運びます。」との事・・・
 「あなた達は明日9時までに必ず京大病院へ到着しておいてください!場所はカウンセラー室です。」
と言われました。

 後から聞くと、ヘリが飛んだその日は、少しの間だけ晴天で風もおさまり、その隙間をぬって、しかも山陰経由の最短距離で飛べたとの事!全くラッキーでした。

30分くらいで鴨川の河川敷に下りて、そこから救急車で病院まで運んだとのこと!
ヘリの手配・・それに飛べたこと全くラッキーでした。

2月1日早朝の午前0時を回った頃、私達は、先生のご尽力に感謝して病院を後にしました。
一旦、準備の為我が家に向かいました。
帰宅してから、軽い食事をすませ、次男の自家用車で京都まで向かうことにしました。
 妻への荷物、付添は長女に任せることにして・・・。
次男運転で、早朝2時に我が家を出て米子から高速道に入りました。
幸運なことには、この日は積雪が5センチ程あり、何もなければ米子道を抜けられる筈でしたが 米子道は吹雪で凄い状況になっていました。
次男の車はスノータイヤを装備しておりましたが、走るのさえままならぬ状況でした。
丁度米子道を出る手前あたりで、チェーン規制がかかりました。
 かつかつ米子道を通過することができ他のです。
これもラッキーだったと思います。
8時前に京大病院に到着しました。
病院京都大学医学部付属.jpg
   京都大学医学部付属病院

病院の中で朝食を済ませ、待合室で待っていると次男が、お父さん「ヘリが来るよ」と言って外を指さしました。
見ると早いスピードでヘリが飛んでいるのが見えました。
ドクターヘリ.jpg
   島根県立中央病院ドクターヘリ

30分ほど経ったころ、病院の集中治療室で待っていると妻が搬送されてきました。
妻はこの時の状況が思い出せなく、後でやばい状況だったと伺いました。

妻を見ていると、宮崎あおいに似た看護婦姿の美人が、「お疲れになったでしょう」と声をかけてこられた。
「私は中央病院のものです。」と言われたので
ああ!付き添いしていただいた看護婦さんだなと・・・
見ると先生もいらっしゃる!お礼を言ってから「朝のヘリで帰られたのかと思いましたが?」というと
「私たちは新幹線でいまから帰ります」と言われる。大変な仕事である。
とにかく感謝!感謝!である。

  関連リンク先      1   2   3   4   5   6   7   8

① 悪性リンパ腫と診断されるまで 
② 病名を告げられる 悪性リンパ腫と
③ 悪性リンパ腫の治療を終えて退院 やがて劇症肝炎に
④ 病名は劇症肝炎!!
⑤ 劇症肝炎が命取りに!救う方法は肝移植 不思議・・息子の血液型がA型からO型に?
⑥ 生体肝移植へ! 日本発の症例で 疑問視する人も? 
⑦ 手術が終わって やがてリハビリへ!! 意を決して退職!!
⑧ 大腸癌発症、手術



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